


猪飼祐一の二つ目の灰釉彩茶盌を各方向から写しています。上の写真が背面で、二枚目が正面向かって左側面(搔き銘側)、三枚目が右側面です。
どの面も正面と同じような景色です。乱れのある轆轤目を残した半筒のシルエットに、艶消しの白釉と薄っすらと青味がかった釉がかかっています。擦れた正方形の絵は何か所にも入っていて、見込みの中にも描かれています。ただ、外側の正方形と見込み側の正方形は繋がっておらず、それぞれが独立しています。
猪飼祐一の作品は、某ネットオークションで常に幾つか出品されているのですが、その大半が殆ど新品と思われるような価格で、私はなかなか手を出せません。ところが稀に明らかに中古価格と思われる価格で出されている物もあって、それは新品と思われる価格より一桁安い値段で売られていたりします。狙い目はやはりそれです。そうじゃないと、効率良く何十個もお気に入りの茶碗を買い集めるなんて事は出来ません。確かにそれでは人気作家の最新作なんて物は買えませんが、最新であろうが古かろうが、茶碗の美しさは変わりません。私にとって最新作或いは新品に拘る理由は殆どないのです。
逆に考えると、現役の陶芸作家さん達は、過去から残されて来た大量の名品が全てライバルになる訳ですから大変だと思います。同世代だけでなく、過去の作家さん達もライバルになる、つまり時代を下れば下る程、競争相手が増えて行くのです。「競う」という観点を持っている作家さんだと、そういう苦しみを味わってしまう事になります。厳しい世界です。既存の枠に囚われず、競争を避け、我が道を行く作家さんが近年増えているように見えるのは、こういう事も要因になっているのでしょう。
つづく