鯉江良二ー1 設楽手茶碗 正面

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 常滑出身の陶芸家・鯉江良二(1938-2020)の設楽手茶碗です。写真では、一か所だけ地の陶土が見えている面があり、そこを正面としています。ここを正面とすると、胴に大きく彫られた掻き銘は、向かって左90°の位置に来ます。

 常滑と言えば日本六古窯の一つで、今でも常滑焼が有名ですし、「鯉江」姓はその常滑焼の歴史に於いて江戸時代の天保年間より尾張藩の御焼物師となっている等、重要な家系として登場して来ます。けれども当の鯉江良二は常滑焼の作家とは認識されておらず、Wikipediaとかでも「伝統陶芸、前衛陶芸という言葉にこだわらない作風が特徴」と言われ、実際の作品群を見ても実に様々なスタイルの作品を制作しています。また、氏の陶房も当初は常滑にありましたが、その後は1989年に愛知県設楽町へ、更に1994年には岐阜県恵那郡上矢作町へと移っており、この点に関しても常滑焼の作家とは言い難いです。

 この茶碗の箱書きにもある「設楽手」という言葉なのですが、ネット上で検索しても鯉江良二の作品しかヒットせず、一般的に用いられる陶芸用語ではないようです。一般に陶芸の界隈で用いられる「〇〇手」という言葉は、「〇〇焼風の」とか「〇〇焼の手法で製作した」とかの意味になりますが、「設楽焼」と言われる物は存在しないようです。一部ネット上に「信楽焼」を「設楽焼」と誤表記している例が散見されますが、鯉江良二の作品でそういう誤表記は考え難いです。また、鯉江良二は愛知県設楽町に陶房を構えていた時期がある事を考えると、この「設楽手」というのは、氏が設楽町で焼いた、或いは設楽町近辺で産出された部材を用いて焼いた作品という意味で、氏が独自に用いた言葉なのではないでしょうか。氏の「設楽手」作品を見ると、殆どが明るい茶色の陶土に白い化粧土をかけたスタイルになっており、このスタイルを「設楽手」と呼んでいるように思われます。

 さて、今回の設楽手茶碗ですが、乱れのある椀形の造形に白い化粧土がかけられ、更にその上から透明釉がかかっています。透明釉は全面に均一にかかっている訳ではなく、透明釉のかかっていない部分は艶消しのマットな色調になっています。正面に見える陶土は、独特の砂っぽい雰囲気があり、他では見ない珍しい陶土であるようです。正面左辺りに見える線彫りは、左側面にある大きな掻き銘の一部で、その掻き銘は装飾の一部となっています。

 本当に「伝統陶芸、前衛陶芸という言葉にこだわらない作風」で、実に味わい深い独自のスタイルだと感じます。

つづく

加藤芳比古-2 瀬戸黒茶碗 高台と掻き銘

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 加藤芳比古の瀬戸黒茶碗の高台と掻き銘です。高台の写真では、茶碗正面を上にしています。

 高台は乱れのある真円で、高さは低く、高台内の削りも浅いです。兜巾は2段ケーキのような造形で、主張も強くはありません。

 土見せから見えるザクザクした仕上げの陶土は、多分もぐさ土だと思うのですが、不思議と青っぽいグレーになっています。こういう色の土は初めて見ます。

 掻き銘は「芳」のはずなのですが、釉薬に殆ど隠されてしまって判読出来ません。一部見えている個所が、前に掲載した同氏の別の茶碗の掻き銘の一部と一致するので、間違いはないと思います。

 という事で、加藤芳比古の瀬戸黒茶碗でした。ゴツゴツして荒々しい造形と、ヌメッとした表面の質感が、独特の感触を持つ手に伝える面白い茶碗です。

おわり

加藤芳比古-2 瀬戸黒茶碗 見込み

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 加藤芳比古の瀬戸黒茶碗の見込みです。写真では、茶碗正面を下にしています。

 上から見るこの茶碗の形は、乱れのある真円で、口縁の厚みにも乱れがあります。口縁の5時位置辺りから8時位置辺りにかけて外側に微妙に傾斜がついており、この辺に口を付けて飲むのが一番快適です。

 見込みの底は、同心円 or 渦巻き状に削られていて、その中心辺りが何となく茶溜りになっています。また、陶土に含まれる砂粒によるものと思われる凸部が幾つもあり、そこの釉薬が剥げていたりして、非常に荒々しい見込みの景色になっています。この辺の荒々しさは外側の箆削りによる荒々しさと良くマッチしていて、統一感があります。

つづく