番浦史郎-1 粉引茶碗 見込み

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 番浦史郎の粉引茶碗の見込みです。写真では、茶碗正面を下にしています。

 見込みの景色に於いても石爆ぜが一つのポイントになっています。また、一般的な貫入とは趣の異なる亀裂が多く走っているのも見て取れます。特に口縁の1時30分位置辺りにある亀裂は、腰の辺りまで真っ直ぐ伸びているのが分かりますが、実は外側から見ても全く同じ位置に亀裂が走っており、ここで茶碗が良く割れずに済んだものだと感心してしまいます。

 こうして上から見る茶碗は、少し乱れのある真円で、口縁は石爆ぜ以外は均一、全体的に薄手に作られているのが分かります。これだけ薄手に作られていると繊細で弱々しいイメージになりがちなのですが、この茶碗では石爆ぜや亀裂が力強さを演出していて、まるで鋭利な刃物を見ているようなシャープさを感じます。個性のある見事な景色です。

つづく

番浦史郎-1 粉引茶碗 背面と両側面

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 番浦史郎の粉引茶碗を各方向から写しています。上の写真が背面で、二枚目が正面向かって左側面(掻き銘側)、三枚目が右側面です。

 こうして各方向から見ると、石爆ぜが多く見て取れます。特に背面にあるものと、口縁にある物が大きく目立ちます。この茶碗はかなり薄手なので、これだけ大きな石爆ぜがあると、焼成時に割れてしまってもおかしくないと思うのですが、この茶碗は辛うじて割れずに済んだのでしょう。実際、殆ど亀裂が走っているように見える部分が見込みにはあったりします。

 この石爆ぜは、石英の大きな砂粒が爆ぜた結果として生まれたものと思われますが、薄手の茶碗を製作するに当たって、割れてしまうリスクを抱えながら、わざわざ大きな砂粒を陶土に混ぜているという事は、こうした石爆ぜを作者は当初から狙っていた事の証拠だと思われます。特に口縁部の石爆ぜについては、滑らかな口当たりを通常は目指すはずなので、そこに大きな砂粒を残したままにするのは、石爆ぜによる景色を優先した作者の意図の現れとしか思われません。そういう意味では、この石爆ぜによる景色は少々わざとらしいと感じる面もあります。まぁ、石爆ぜも釉薬のかけ方と同様に、茶碗の装飾技法の一つと考えるべきなのでしょう。

 一方、土と釉薬、化粧土などからなる色合い等の景色については、かなり自然な乱れがあって見事です。化粧土による粉を引いたような白と、焼成具合のムラによって生じたグレー系とブラウン系の発色が、白を中心に良いバランスで混ざっています。大変美しい景色です。

つづく

番浦史郎-1 粉引茶碗 正面

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 京都に生まれ、伊賀上野で作陶していた番浦史郎(1941ー2001)の粉引茶碗です。写真では、高台脇の掻き銘を向かって左90°の位置に持って来て、この向きを正面としています。

 番浦史郎の作品については、伊賀上野で作陶していたとは言え、所謂「伊賀焼」を作っていた訳ではなく、古美術商等での分類では「京焼」に入れられる事が多いようです。北大路魯山人の弟子であった河村熹太郎に師事したそうですから、魯山人の孫弟子という事になるのでしょうか。

 この茶碗は、「粉引」の名前通り、粉をひいたような表面が繊細なイメージを醸し出しています。また、造りが全体的に薄手で、腰の辺りのふくよかな曲線から口縁に向かっての直線的な造形、そして竹の節のようになって少し荒々しい高台といった要素が、全体として独特なバランスを構成しています。

 更に、この正面から見ると分かり難いのですが、この茶碗には所々に石爆ぜがあり、それも大きな見所になっています。

つづく