吉賀大眉-1 萩茶碗 背面と両側面

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 吉賀大眉の萩茶碗を各方向から写しています。上の写真が背面で、二枚目が正面向かって左側面(掻き銘側)、三枚目が右側面です。

 どの方向から見ても同じような景色です。胴の上半分に残された轆轤目がアクセントになり、腰のふくよかな曲線が瑞々しい美しさを湛えています。釉景に縮れや流れの跡はなく、それが化粧土のムラから出るランダムな琵琶色の模様に意識を集中させます。良く見ると細かい貫入があり、陶土に含まれる砂粒による小さな凹凸とともに、萩焼らしい味わい深いディティールを構成しています。

 中古市場に出回っている吉賀大眉の作品を見ていると、白釉(半透明釉か?)を厚めにかけて、それが流れた跡を残してある作品が多くあります。そうした装飾技法は萩焼の中でも比較的濃い味付けだと思うのですが、吉賀大眉はそれの方がお好みであったのかも知れません。反対に、この茶碗のように釉薬に主張させない薄味の仕上げになっている物も吉賀大眉は幾つか作っていて、私としてはこっちの方が好みだったりします。私は萩焼に枯れた雰囲気を求めているので、濃い味の装飾は、私個人の萩焼に対するイメージに合わないんですよね。(笑)

つづく

吉賀大眉-1 萩茶碗 正面

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 萩の陶芸家・吉賀大眉(1915-1991)の萩茶碗です。写真では、高台脇の掻き銘を向かって左90°の位置に持って来て、この向きを正面としています。

 吉賀大眉は1986年に勲三等瑞宝章、1990年に文化功労者になるなど、萩焼の文化や業界に対し大きな貢献をした人物として評価されている人です。また、陶芸家としては珍しく「吉賀大眉記念館」という専門美術館が設立されている程の作家でもあります。(一人の作家専門の美術館がある陶芸家としては、他に板谷波山、田村耕一、加藤唐九郎、二代浅蔵五十吉、河井寛次郎といった所でしょうか。錚々たる顔ぶれです。)
 それだけに、さぞかしスッゴイ作品を多く残したのかと言うと、中古市場を見る限りに於いては意外にオーソドックスな萩焼作品が殆どのように見えます。考えてみれば、それも当然で、飛び抜けて異質な作品というのは賛否が分かれるもので、そうした作品を好んで作る作家というのは、存命中に業界全体から一様に高く評価される事は滅多にないのだろうと思います。オーソドックスな作品、或いは教科書に載せたくなるような典型的な作品を上手に作れるからこそ、多くの人から支持を受けやすいのでしょう。

 注意したいのは、オーソドックスな作品だからと言って、それが薄っぺらな味わいの作品になるかと言うと、そうではないという事です。今回の茶碗もそうです。立ちの強い椀形のシルエットに、薄い琵琶色の美しい発色。胴の上半分にだけ太めの轆轤目が残してあり、腰の曲線はふくよか、逆に高台にはラフな削り跡が残されています。特に腰の曲線は見事で、まるでジュースがパンパンに詰まった葡萄の大粒のような瑞々しささえ感じます。とても味わい深い茶碗です。

つづく

新庄寒山ー5 萩焼茶碗 高台と窯印

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 十三代・新庄寒山の五つ目の萩焼茶碗の高台と窯印です。高台の写真では、茶碗正面を上にしています。

 高台は少し乱れのある真円です。乱れ方について言えば、この茶碗で最も乱れのある箇所が、この高台という事になろうかと思います。高台の直径は小さい方ですが、椀形の茶碗では標準的な直径だと思います。兜巾は、余り強くは主張して来ていませんが、ちゃんと整形されています。

 高台脇から畳付き、高台内までの全体に釉薬がかかっており、土見せは全くないのですが、透明釉が薄いので、砂粒混じりの陶土や少しザクザクとさせた削り跡などが良く見て取れて、退屈させない景色となっています。

 窯印は「寒山」です。十三代・新庄寒山のいつもの窯印です。

 という事で十三代・新庄寒山の五つ目の萩焼茶碗でした。寒色と暖色が荒々しく混じりあった発色と、乱れのない整って静かなシルエットとが絶妙のバランスで楽しませてくれる良い茶碗です。

おわり