坂高麗左衛門-3 萩焼茶碗 背面と両側面

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 十一世・坂高麗左衛門の三つ目の萩焼茶碗を各方向から写しています。上の写真が背面で、二枚目が正面向かって左側面(窯印側)、三枚目が右側面です。

 どの方向から見ても凡そ同じような景色ではありますが、それぞれにちょっとした特徴があります。背面では化粧土の流れが最も顕著に現れていて、釉景としては最もアクティブです。左側面では、溝模様の始点と最後の方が見えており、溝が輪っかではなく螺旋状になっている事が分かります。逆の右側面は、正面と同じように比較的静かな景色です。全体としては統一感がありながらも、細部に着目すると各面ともに飽きさせない景色になっていると思います。

 そして、何処となく感じる上品さと言うか、優しさと言うか、そういう雰囲気のある茶碗というのは、実はそんなに多くはありません。枯れた景色の中に、そういうニュアンスを感じられる茶碗には愛着が湧いてきます。

つづく

坂高麗左衛門-3 萩焼茶碗 正面

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 十一世・坂高麗左衛門(1912-1981)の萩焼茶碗の三つ目です。写真では、高台脇にある窯印を向かって左90°の位置にして、この向きを正面としています。

 坂高麗左衛門の茶碗はこれで三つ目なのですが、ここまですべて十一世の作品になっています。そうなったのは、私が特に意識したからではありませんから、今実際に中古市場に出回っている坂高麗左衛門の作品では、十一世の物が最も多いためではないかと思われます。中古でばかり購入している私としては、十一世の作品に最も出会いやすいのです。
 で、十一世の作品が中古市場で最も数が多いのは、製作年代的に今中古が出やすい時期の物であるという事もあろうかと思いますが、製作した作品の絶対数の違いもあると思われます。十一世は68歳(当主として23年間)で亡くなっていて、それでも長生きなさった方ではないと思いますが、次の十二世は54歳(当主として17年間)、十三世は62歳(当主として3年間)と、更に短命で亡くなっています。そうなると中古市場に出回る作品数も限られてしまいます。

 そんなこんなで三つ目の十一世・坂高麗左衛門の作品なのですが、前の二つと同様に、これも素晴らしい作品に仕上がっていると感じます。
 オーソドックスで素朴な椀形のシルエットですが、胴に一周ぐるりと溝が彫られていて、良いアクセントになっています。この溝彫りの装飾は、同じくらいの年代の他の作家でも見た事があるタイプなので、もしかしたら一時期流行した手法なのかも知れません。

 釉景に縮れは殆どありませんが、微かに残る轆轤目や陶土の砂粒、化粧土や釉薬の自然な流れやランダムな発色が、不思議と動きのある景色を作り出しています。しかも、その景色は変に出しゃばって来る事もなく、非常に上品です。こうした上品さを感じさせる仕上がりは、十一世・坂高麗左衛門の一つの特徴だと私は感じています。

つづく

岡田裕-1 萩茶碗 高台と窯印

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 岡田裕の萩茶碗の高台と窯印です。高台の写真では、茶碗正面を上にしています。

 適度な直径の高台は乱れのある真円で、高台内の彫りは浅め、兜巾もやや控えめです。土見せはありませんが、高台内では釉薬の下のザクザクした陶土の感じが見て取れます。

 それと、気になるのは色です。青灰色と言うよりも、殆ど黒に近い発色が高台内外にはっきりと出ていますが、これだけクッキリ出ていると、自然に発色したのではなく、人為的に着色されたかのように見えます。ここだけ人為的に着色するとは考えにくいので、自然な発色だと思うのですが、とても不思議な景色です。

 窯印は「裕」です。“窯”印と言うより個人名の印になっています。この茶碗を焼いた当時は、岡田窯の先代当主(岡田仙舟)が存命でしたから、個人名の印になっているのも頷けます。ただ、八代目当主となっている現在も同じ窯印を使い続けているのかどうかは分かりません。現在は息子(岡田泰)も萩焼を焼いているそうですから、息子の作品と区別する意味で、個人名の窯印を使い続けているかも知れません。

 という事で、岡田裕の萩茶碗でした。ふくよかな形と微妙な発色が魅力の良い茶碗です。

おわり