猪飼祐一-2 灰釉彩茶盌 背面と両側面

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 猪飼祐一の二つ目の灰釉彩茶盌を各方向から写しています。上の写真が背面で、二枚目が正面向かって左側面(搔き銘側)、三枚目が右側面です。

 どの面も正面と同じような景色です。乱れのある轆轤目を残した半筒のシルエットに、艶消しの白釉と薄っすらと青味がかった釉がかかっています。擦れた正方形の絵は何か所にも入っていて、見込みの中にも描かれています。ただ、外側の正方形と見込み側の正方形は繋がっておらず、それぞれが独立しています。

 猪飼祐一の作品は、某ネットオークションで常に幾つか出品されているのですが、その大半が殆ど新品と思われるような価格で、私はなかなか手を出せません。ところが稀に明らかに中古価格と思われる価格で出されている物もあって、それは新品と思われる価格より一桁安い値段で売られていたりします。狙い目はやはりそれです。そうじゃないと、効率良く何十個もお気に入りの茶碗を買い集めるなんて事は出来ません。確かにそれでは人気作家の最新作なんて物は買えませんが、最新であろうが古かろうが、茶碗の美しさは変わりません。私にとって最新作或いは新品に拘る理由は殆どないのです。

 逆に考えると、現役の陶芸作家さん達は、過去から残されて来た大量の名品が全てライバルになる訳ですから大変だと思います。同世代だけでなく、過去の作家さん達もライバルになる、つまり時代を下れば下る程、競争相手が増えて行くのです。「競う」という観点を持っている作家さんだと、そういう苦しみを味わってしまう事になります。厳しい世界です。既存の枠に囚われず、競争を避け、我が道を行く作家さんが近年増えているように見えるのは、こういう事も要因になっているのでしょう。

つづく

猪飼祐一-2 灰釉彩茶盌 正面

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 京都の陶芸家・猪飼祐一(1963-)の灰釉彩茶盌です。猪飼祐一の茶碗は、これで二つ目となります。また、前回の同氏の作品も灰釉彩茶盌でした。写真では、高台脇の掻き銘を向かって左90°の位置に持って来て、この向きを正面としています。

 前に紹介した灰釉彩茶盌を随分気に入ったので、同じ手の茶碗をもう一つ買い足した訳です。今回の灰釉彩茶盌は前回のと比べると少し人工的要素が強い物となっています。

 乱れのある轆轤目が残され、少し口の開いた半筒のシルエットに、やや艶消しの白い釉薬がかかっています。正面には正方形の黒い絵が描かれていますが、この正方形は他の場所にも幾つか入っています。また、正方形全体ではなく、その一部だけが描かれている場所もあります。正面左上と左下に見える黒い模様も、正方形の角の部分だけが描かれた箇所です。

 白釉の上からは、自然釉と思われる青味がかった釉薬が薄くかかっています。それが流れて溜った個所は青緑色が濃い目に出て、薄い箇所は薄っすらと青色が乗っています。この自然釉が「灰釉」で、その青味の彩りがこの茶碗のポイントになっています。正に「灰釉彩茶盌」という名前通りです。

 正方形の絵は、多分鉄絵だと思うのですが、かなり人工的・作為的な絵です。ただ、ナチュラルに擦れていて、適度に人為性を薄めています。これがもし明確な正方形としてクッキリと描かれていたら、全体的に不規則性が取り込まれたシルエットに不釣り合いな雰囲気になっていたでしょう。人為性を出し過ぎないギリギリのラインでまとめられています。

つづく

三輪休雪ー1 萩茶碗 高台と窯印

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 十代・三輪休雪の萩茶碗の高台と窯印です。高台の写真では、茶碗正面を上にしています。

 切り込みのある切高台は乱れのある真円です。砂粒混じりの陶土という事もあって、この茶碗で最も力強い姿をしています。高台内の削りもザクザクとしており、兜巾も荒々しい姿をしています。この高台内から高台脇にかけて釉薬がかかっていない部分があり、荒い土の雰囲気が良く伝わります。
 全体的には静かで優しい茶碗なのですが、この下から見る景色だけが力強く荒々しい雰囲気になっています。こういうコントラストは、見ていて楽しいものです。

 窯印は、高台の付け根辺りに小さく「休雪」と入っています。パッと見では何処にあるのか分からないくらい小さく控えめです。これが十代・三輪休雪の窯印の特徴です。十一代以降の「休雪」印は、もう少し分かりやすくなって来るイメージです。

 以上、十代・三輪休雪の萩茶碗でした。人気の「休雪白」作品ではありませんが、オーソドックスな萩焼茶碗として完成度の高い作品です。

おわり