三輪休雪ー1 萩茶碗 見込み

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 十代・三輪休雪の萩茶碗の見込みです。写真では、茶碗正面を下にしています。

 上から見るこの茶碗は、乱れの少ない真円形です。口縁は薄く均一で、端正な佇まいをしています。薄っすらと残る轆轤目や、砂粒や釉薬の気泡・縮れによる凹凸、釉薬と化粧土の穏やかなムラの優しい表情といった要素は茶碗の外側と同様です。見込みの底はなだらかに湾曲しており、茶溜りは意識的には整形されていません。静かで味わい深い景色です。

 さて、十代・三輪休雪は人間国宝になる訳ですが、次代の十一代・三輪休雪(十代の弟)も人間国宝になります。十一代・三輪休雪の作品は、「休雪白」が更に進化し、所謂「鬼萩」と呼ばれるような、白釉を強く縮れさせた物が多くなります。この「鬼萩」は人気が高く、他の萩焼作家も多く手掛けるようになったりするのですが、それでも十一代以降の三輪休雪のトレードマークと言えるような様式となっています。ただ個人的に、この「鬼萩」の力強く荒々しい姿が、私が萩焼に求める味わいと随分と違っているので、現代陶芸作品として興味深いとは感じるものの、伝統的な「萩焼」としてコレクションに加えるのには多少の抵抗感があります。その点、中古市場に出て来る十代・三輪休雪の作品は、まだ伝統的な萩焼の姿をしている物が多く、その意味で「萩焼旧御用窯の作品を全部揃える」という私のコンセプトに合致しています。私が三輪窯の作品を購入する上で十代・三輪休雪の「休雪白」でないオーソドックスな茶碗を選んだのは、こうした事も要因の一つです。

つづく

三輪休雪ー1 萩茶碗 背面と両側面

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 十代・三輪休雪の萩茶碗を各方向から写しています。上の写真が背面で、二枚目が正面向かって左側面、三枚目が右側面(窯印側)です。

 釉薬や化粧土の濃淡の違いはありますが、どの面も凡そ正面と同じような景色です。バランスの良い椀形のシルエットに、丁寧な轆轤目が薄っすらと残っています。陶土は粗めで多くの砂粒が混ざり、それによるボツボツと釉薬の気泡や貫入が味わい深い表面を形作っています。また、釉薬と化粧土のムラは大らかで、緩やかに変わって行く様子が優しい表情を醸し出しています。

 さて、萩焼には明治以前に萩藩の御用窯であった窯元が今でも幾つか存在しています。これらの旧御用窯の作品について、私はこれまで幾つか買い集めて、ここで紹介して来ました。萩市松本の坂窯、長門市深川の坂倉新兵衛窯、田原陶兵衛窯、坂田泥華窯、新庄助右衛門窯がそれです。今回これに萩市松本の三輪窯が加わり、旧御用窯はほぼ全て集める事が出来ました。三輪休雪の作品を入手出来た事は、作品の良さもさることながら、この意味でも私にとっての満足度は高いのです。(旧御用窯としては長門市深川の坂倉善右衛門窯というのがあって、ここの作品は未だ入手出来ていないのですが、ここは一度廃業し2006年に復活したという経緯があり、また今の作風もかなり現代的で、伝統的な萩焼とはテイストが随分と違っているので、萩焼旧御用窯の一つとしてコレクションに加えるべきかどうか微妙な線だと感じています。)

つづく

三輪休雪ー1 萩茶碗 正面

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 十代・三輪休雪(1895-1981)の萩茶碗です。写真では、切高台の切れ目がイイ感じで見える向きを正面としています。ここを正面とすると、高台脇にある窯印は、向かって右90°の位置に来ます。

 言わずと知れた萩焼に於ける最初の人間国宝の作品です。とは言え、十代・三輪休雪が人間国宝に指定されたのは、1967年に隠居して「休和」と号するようになった後の1970年ですから、「休雪」の窯印がある本作品は人間国宝になる前の作品という事になります。

 また、十代・三輪休雪と言えば、白い釉薬が美しい「休雪白」の作品が有名ですが、この茶碗はそれではなく、極めてオーソドックスな萩焼の茶碗となっています。
 そういう訳で、泣く子も黙る「人間国宝」の作品ではありますが、言うほど高くない価格で中古を落札する事が出来ました。価格としては、例えば岐阜県重要無形文化財であり、志野焼での人気作家・林正太郎の中古のネットオークション落札相場よりも随分と安いくらいです。まぁ、人間国宝が作った作品だからと言って、その作品の全てが国宝級の価格になるという訳ではないという事です。

 ただ、考えてみれば、本作品も含めた数々の業績が評価された結果として人間国宝に指定された訳ですから、人間国宝になる前の作品にもそれなりの意味・価値があると私は思っています。実際、この茶碗の萩焼としての完成度はかなり高いと感じます。

 適度にバランスの取れた椀形のシルエットに、落ち着きのある萩焼らしい琵琶色の釉景、味わいのある貫入や、景色に動きを与える荒々しい陶土と切高台といった要素が、この茶碗の完成度の高さを物語っています。正に「これぞ萩焼」と言える作品だと思います。

つづく